電子書籍は何だろうかと考えるとき、それが、やや漠然とした広がりを持った概念であり、はっきりとした定義がしにくいもののような感じを受けます。
そこで、私たちは少しこの言葉の意味を限定して、本、あるいは書物としての電子書籍を対象として、書物としての電子書籍のイメージを明確に持つところから始めるとよいでしょう。
電子書籍は、紙ではなくて、コンピュータで扱える電子情報、データ、あるいはファイルとして表現されるものです。そのため、WORDやPDFファイルの1枚で表現された情報も電子書籍と言えるのかという、余計で、あまり意味のない議論にまきこまれそうだから、少し意味を限定して考えたほうがよいのです。
以下では、書籍、本、書物をほぼ同じ意味で使います。ニュアンスの違いは、読みながら感じていただければよいです。
そこで、書物としての電子書籍とは何かをかんがえましょう。
書物としての電子書籍は、Amazon KindleのKDPや、Sony リーダー、Kobo リーダー、iBookなどで扱われています。それらは、タイトルを持ち、短いタイトルの中に、端的にそのコンテンツの本質が表現され、読者が読むべきコンテンツがそこに含まれています。跳ばし読みや、順序を変えた読みが可能であるとしても、電子書駅を提供する側は、ほとんどの場合、標準的なコンテンツの順序、読者に期待する読みの順番を示しています。
この順序性は大切な意味を持っていて、はじめの部分で読者を引き寄せ、その書物の結末が最後に書かれています。
電子書籍に限らず、古今東西の書物と呼ばれるものが基本的に備えている特徴は、次のようにまとめることができます。
(1)コア性:読者に伝えたい核心のようなものを持っていること
(2)線条(順序)性:読者に期待する読む順序が与えられている
(3)コンパクト性:境界が明確になっていること、すなわち、はじめと終わりがあり、外にある情報への参照が不可欠ではない
(4)パッケージ性:必要な内容、タイトル、カバー画像、テキストなどがまとまって読者に提供される
もちろん、書物というのが、これらの性質を常に100%持っているわけではありませんが、これらの要素をある程度持っているものを、ここでは書物とし、また、この書物が電子データで提供されるものを電子書籍と呼ぶことにしています。
こうした視点を持っていると、電子書籍と、フェイスブックやツィッターや、ブログなどと電子書籍の違いがある程度明確になります。
書物という情報の形式は、このような特徴を持っているのですが、これは、根本的には、人間の認識が、このような形で与えられる情報を受け入れる力を持っている、あるいは、このような形でしか表現できない情報がある、したがって、人はこのような形の情報を求めるようになっていることから来ています。
あるいは、それは「言語」が持っている避けがたい特徴でもあります。
もともと、書物は、人間の語りから出発したと言われています。もっと明確に、最も初期の書物は人間そのものだったと言われています。人間があるまとまった物語を伝える役割を持っていたということです。たとえば、民族の伝説などは、それを語ることができ、人々にそれを伝えることを役割として持っていた人間がいたことは容易に想像できます。そこに書物の起源があると言うわけです。
あるいは、古代のあるお金持ちが、図書館を持っていて、その図書館は奴隷としての人間から構成されていたという話もあります。だから、その図書館の本は病気になったりすると、読者に物語を提供できなかったのです。
それが、粘土版や、巻子本、冊子本に変わっていったわけです。
そうした人間の語りに起源を持つ者であるからこそ、書物は伝えられるべき核をもっていて、話が跳んだり、複数の内容を平行に読まれることを前提にしない、順序よく読まれることを期待するという意味での線条性をもっていること、その語りの中で全てが完結するコンパクト性、全てのコンテンツがまとめられているパッケージ性をもっていることは、簡単に理解できます。
実際私たちが慣れ親しんだ本の多くはこのような意味で書物なのです。
本書で対象とする電子書籍が、このような書物としての電子書籍であることをまず理解しください。また、このような書物としての電子書籍は、皆さんの持っている電子書籍のイメージの一番大事なところをとらえているはずです。