多様なコミュニケーション媒体

もし書物が、あるいは本が、そのようなコミュニケーション媒体だとするならば、現代は安価なコミュニケーション媒体があふれるほど存在する時代です。人間の歴史上、これほど人々が大量で安価なコミュニケーション媒体を手にしている時代はなかったでしょう。インターネットを経由して行われる、メール、ウェッブサイト、ブログ、フェイスブック、ツィッターなどなど、さまざまなツールを現代人は、初期費用はかかっても、追加費用ゼロで使い続けられます。

そのような状況の下で、電子書籍というコミュニケーション媒体は、独自の役割をもち続けられるのでしょうか。この点を考える上で、最初に示した書物の定義が重要な意味を持つのです。

(1)から(4)のような役割を、ツイッターやフェイスブック、あるいはブログに果たさせることは不可能ではなかったとしても、困難、あるいは向いていないとはっきり言うことができます。これらのソーシャルメディアの一つのつぶやき、一つの記事は、一つの伝えるべきコアをもっていると言えるかもしれませんが、一つのコアを明確に鋭く表現するために、多様なコンテンツをつなぎ合わせたりパッケージ化することは意図していません。また、それらの記事は、他の記事やコンテンツと境界もなく連鎖していくことを予定しているとも言えます。

書物に表わされるような特殊なコミュニケーション手段は、私たちが生活する上で、必要であると同時に、人が求めるものでもあります。

人は、インターネット上の細切れのような記事、情報ではなく、あるテーマを語り尽くしている、表現つくしているコミュニケーション媒体も求めるのです。それは言葉を発明した人間の宿命でもあります。

電子書籍は、コミュニケーション媒体として、このような特別な機能を持っているが故に、他のインターネット上の媒体がどれだけ普及したとしても、必要性を失い、埋もれていくことはないのです。