出版の営利性

現在の本の出版は、民間の出版社によって行われる限り、そのほとんどは営利活動の手段であり結果です。そして、出版のほとんどは出版社によって行われています。

本を出版するという行為がなぜ営利活動と結びつくのか、結びつかざるを得ないのかが考えるべき点です。

日本史上最高の物語とも言える源氏物語は1000年以上も前に書かれました。それは多くの人々によって書写され、現在にまで残っています。源氏物語が書かれたのは、藤原道長の野望と紫式部の才能が結びついたためであり、文学的表現の動機以外のドロドロした人間の欲望の実現という意図があったかもしれませんが、近代以前の書写行為は、出版行為ではありませんでした。現代において、源氏物語やその翻訳が出版社から営利目的で出版されることはありますが、それ以前は、営利行為と結びついていたとは言いがたいです。

本を書き、それを多数の人々に届けると言う行為は、出版とは独立に存在するものであることは、このような歴史を見れば明らかです。歴史は、営利行為と結びつかない本の著述と普及の事例で埋められていると言ってもいいくらいです。

ということは、出版事業は、本の著述と普及という人間的社会的行為を営利事業として取込んでいるということができます。

さてでは、なぜ出版事業はなぜそれができたのでしょう。それは、本の著述と普及が、小さな資本ではやりにくいからに他なりません。誰でもできることではなく、ある少なくない金額の初期投資が必要なのです。そしてそのような初期投資が必要な理由は、本を作成することが高コストであるからに他なりません。本は多数の複製を作ることを前提にしています。多くの人に読まれなければなりません。そのためには、単にたくさん印刷することではなく、多数の印刷に耐えるような編集や組版、文字形(フォント)の使用が必要になります。

しかし、もし、こうした本の作成と普及に費用がかからないとしたら、出版事業が必要としている本の寡占的状況を維持できなくなってしまいます。初期投資不要で、誰にでもできることになってしまうのです。

もちろん、著作権や出版権などの法的に保護された権利で、本の普及という行為の営利性を確保することはできないことではないことですが、相当無理をせざるを得ないでしょう。

電子書籍の時代にいる私たちは、本の制作と普及という行為に着せられていた営利事業という服を脱いだ姿を確認する必要があるのです。